私の英語冒険記~30歳からの本気の英語学習~

私が本気で英語学習を始めてから5年が経つ。カナダへワーキングホリデーへ行ったり、NCC綜合英語学院という語学学校へ通ったりした。現在は語学学習アプリを作っている。5年間、私の中心には常に英語学習があった。

5年間でどのようにして英語にハマり、英語を学んでいったのかを書いていく。どちらかというと読み物として楽しんでもらいたい。まずは英語学習を始めるきっかけとなった、アメリカ旅行について。

いざ、アメリカへ

29歳の時に、アメリカのカリフォルニア州へ旅行に行った。当時、私はプログラマーとして働いていたのだが、モヤモヤする日々を過ごしていた。このまま30代を迎えていいのか?本当にやりたいことは何なのか?など、自分がしたいことがよくわからなくなっていたためだ。その時なんとなく思っていた将来やりたいことが「アメリカのシリコンバレーでプログラマーとして働く」であった。そこで、実際のシリコンバレーをみるために旅行へ行ったのである。

空港を出て、初めてアメリカの大地を踏んだ瞬間はものすごく高揚していた。そのまま初めてUberに乗った。日本のタクシーとは違い、当時からアメリカのUberはライドシェアができた。つまり、私以外の乗客が車の中にいるのだ。同じ方向に行く人たちが同じ車に乗る。少し遠回りになるが、その分、料金が半額以下になるというわけだ。

Uberに乗ると、運転手や同乗者が積極的に私に話しかけてきた。「どこから来たのか?アメリカは初めてか?」などと聞かれた。当時、私は英語がほとんどできなかったが、何を聞かれているかはわかったので、単語だけ並べて回答した。しかし、私の英語力のせいで会話が続かず、次第に彼らは話しかけてこなくなった。英語が話せないのが辛くなり、「早く目的地に着いてくれ〜」と願っていた。

宿はAirbnbで借りた。UberやAirbnbなどのサービスを使うことも、この旅行の目的の一つだった。(当時、どちらのサービスも日本では使えなかった。)私は一軒家の一室を借りた。オーナーは別の部屋にいるが、リビングなどで会話ができる点と、ホテルなどに比べると半額以下で借りられるのが魅力だ。オーナーは私が部屋に着くと優しく話しかけてくれた。日本人に慣れているのか、私が英語を話せないことに対して、特に気にしていないようだった。Google翻訳などを使って最低限のコミュニケーションを取った。本当はもっと話そうと思っていたのだが、すっかり自信をなくしてしまい、結局5日間で私からオーナーに話しかけることはしなかったし、一緒にご飯を食べることもなかった。

この旅の一番の目的は、Apple、Google、Meta(当時はFacebook)の本社へ行くこと。訪れた会社はどれも凄まじく大きかった。特にGoogleには衝撃を受けたので紹介したい。まず、入り口には観光客用の写真スポットがある。Androidのマスコットがあり、観光客がその前で写真を撮っていた。お土産コーナーまであり、Tシャツやお菓子などが売られていた。どうやらGAFAの本社を回るツアーまであるらしい。

中に入ると、カラフルな自転車が大量に置かれていた。社員はそれでオフィス間を移動をするようだ。社員はどこで働いてもよく、会社内には数え切れないくらいのカフェがあった。社員は全てが無料で飲食ができるようだ。私が訪れた時はカフェにはあまり人がいなく、代わりに外のベンチで働いている人たちはたくさんいた。

印象的だったのが、社員の服装がみな地味だったことだ。グレーか黒のTシャツをきており、カラフルな色の服を来ている人は全然いなかった。また、Tシャツは首元がヨレヨレだった。彼らはファッションには興味がないのだろうか。

1時間ほどGoogle社内を散策したが、社内の半分も回れていなかった。次は社員になって戻ってきます!と誓い、Google本社を後にした。

移動は全てUberで行った。会話は相変わらずできず、ずっとあたふたしていた。一度だけ、心優しいゆっくり話しかけてくれるドライバーに当たった時があった。他に同乗者もいなかったこともあり、会話を30分ほど続けることができた。

最終日はLAに移動して、その夜はロッジに泊まった。そのロッジは若い人が多く、共有エリアで皆お酒を飲んだり、ご飯を食べたり、ボードゲームをしていた。私が受付を済ませるとと何人かかが話しかけてくれ、そのまま一緒にランチをとることにした。その中に25歳くらいのとても可愛らしいアジア系の女性がいた。

彼女は日本が大好きらしく、カタコトの日本語で積極的に私に話しかけてきた。彼女は普段から日本語の勉強をしていたため、私と日本語の練習したいようだった。ランチの後、近くの博物館へ一緒に行かないか?と彼女は誘ってきた。そのまま二人で博物館へ行った。お互い、英語と日本語を交互に使い会話をした。この旅行中、一番楽しい時間であった。

彼女とはWhatsappを交換してまた会う約束をした。この時「もっと勉強したいな。外国人の彼女を作り、アメリカの会社で働きたい。」と本気で思うようになった。たった一週間の旅行だが、今でも様々なことを思い出す。とにかく英語をやろう!本気で決意した旅であった。

ワーキングホリデー

羽田空港から自宅へ戻る電車内で、私はワーキングホリデーについて調べていた。この英語熱が冷める前に行動を起こしたかった。一週間もすれば熱も冷め、海外へ住むことが億劫になり辞めるだろうと分かっていたためだ。当時私は29歳だった。大抵の国のワーキングホリデーは30歳以下を対象にしているため、私には時間的猶予がなかった。将来的に住みたい国はアメリカと決まっており、可能ならワーキングホリデー後にそのまま移住したかった。そのため、私はワーキングホリデーで行く国をカナダのバンクーバーにした。カリフォルニア州から近いため、面接などあったときに行きやすいと思ったためである。

アメリカから日本に帰ってきた次の日、仕事の昼休み時間にカナダのワーキングホリデービザを申請した。そのまま午後にクライアント先に仕事を辞めることを伝えた。半年後、私はカナダへ行った。

日本に帰ってからカナダへいくまでの半年間、英語の勉強はあまりできなかった。オンライン英会話を毎日30分受けることと、文法の参考書を土日に読む程度であり、英語力が上がった感覚はなかった。ただ、向こうに行けばなんとかなるだろうと、思っていた。

住む家は決めていなかった。最初の1週間だけAirbnbで宿をとっており、その間に住む場所を探した。代理店などを使い、日本から現地の家を契約すると割高になるためだ。何より大事なことは、ネイティブと触れ合うことだと思い、私は長めに泊まれるロッジを探した。アメリカ旅行で泊まったロッジにいい思い出があり、ロッジに泊まれば24時間英語に触れ合えると思ったためである。日本人が少ない場所がよかったため、バンクーバーから電車で2時間ほど離れたSquamishという地域にあるロッジと1ヶ月の契約を結んだ。

ちなみに、当時私は250万円ほどの貯金があった。全部使い切ってもいいと思っていた。そのため、「半年くらい働かなくても平気だろう。まずは英語を覚えて、後半の半年は向こうでバイトをしよう」と思っていた。また、語学学校へいくことは意味がないと思っていた。勉強なら自分一人でできるし、語学学校へいっても日本人だらけで、結局英語力が伸びないのではと考えていたためである。

ロッジでは毎日イベントが開催されていた。トランプナイト、英語を一緒にみよう、一緒にハイキングしようなどである。まず、私はロッジについたその日の夜、早速トランプナイトに参加した。参加者は8人ほどであった。ルール説明をホストの人がしてくれるのだが、私の英語力の低さのせいで理解ができない。やったことがない遊びのため、どうやればいいのか分からなかった。私の順番が来るたびに流れが止まる。その都度、優しくルールを説明してくれる人もいたが、明らかにイライラしてきている人がいるのも分かった。説明を何度受けても理解ができない。私はその空気間に耐えられなくなり、15分もしないうちに「ソーリー、ソーリー」と言い、その場を後にした。結局、それ以降一度もロッジのイベントに参加しなかった。

ロッジでの生活は散々だった。ロッジは1つの部屋に二段ベットが4つある。最大8人が寝るのだ。夜はいびきがうるさくなかなか眠れないし、昼間もそんな空間にいたくない。ご飯を食べようと共有のキッチンで料理をしていると、他の利用者が英語で話しかけてくることもあるが、英語が理解できず、会話が続かない。自己嫌悪に陥った。せっかくロッジに住んだのに、他の利用者と過ごすのが嫌になったのである。できるだけ彼らを避けるように生活した。

私は何をしていたかというと、毎日朝10時から一人で図書館へい行き、参考書で勉強をした。また、毎日3回NativeCampという英語のオンラインレッスンを受けた。人が少ない時間帯を狙ってロッジへ戻り、軽食を食べて、また図書館へ戻った。夜はロッジに戻っても会話ができなく辛いので、マックへ移動した。皆が寝静まる深夜12時くらいまで、マックで一人で英語音声英語字幕でネットフリックを見ていた。全て日本でできる勉強法である。

私は2週間ほどでストレスと疲れの限界を迎えてしまい、残り2週間の契約が残っていたがロッジを後にした。もちろん残りの日数分のお金は戻ってこなかった。バンクーバーへ戻り、1週間Airbnbで宿を借りた。今度は少し高めの個室がある部屋にした。

1週間の個室がある宿での生活でメンタルも回復し、次の計画を立てた。やはり個室は絶対に必要だと思ったことと、素直に語学学校へ行こうと決意した。期間は3ヶ月とした。例え日本人が多かったとしても、そこで3ヶ月しっかり学ぼうと思った。ネットで募集されていたシェアハウスを3件ほど回り、一番清潔感があった部屋を借りた。そのシェアハウスから近い語学学校も契約した。

語学学校は日本人と韓国人が5割くらいで、残りがメキシコ人、ヨーロッパ系の人だった。料金は日本円で月に10万円ほどで、週5回1日6時間の授業があった。語学学校は楽しかった。同じく英語が話せなく、辛い思いをしている人たちと悩みを共有し、一緒に同じ目標に向かって頑張ることで、メンタルが安定した。

多くの時間をクラスの人たちと過ごし次第に仲良くなってきた。日本人同士で話すときは日本語になってしまうが、他の国の人たちがいる時は、英語で話すので少しずつだが英語力は上がってきた。授業中、先生は全て英語で話すので、リスニング力が上がった。ネイティブの英語を毎日6時間聞けるのが、語学学校の一番のメリットかもしれない。

それでもスピーキング力があまり伸びていると感じられなかった。私は先生に相談した結果、毎日英語で日記を書くことにした。その先生は毎日授業前に生徒からの日記を受け付けていた。添削して次の日に返してくれるのだ。私は毎日英語で日記を書いた。先生と文通をしているようで楽しかった。

シェアハウスの住民は4人であった。韓国人の若い学生の女性、日本人の40代の女性、アイルランド人の20代の男性、そして私である。その日本人女性は日本語を使うのが嫌なのか、徹底して日本語を使わなかった。常に彼女は私にも英語で話しかけてきた。そのため、私も英語で回答していた。二人しかいない時も英語で話した。今思うと奇妙だが、それはそれでよかった。

アイルランド人は優しく、よく一緒にご飯を食べた。人として尊敬できる面も多々あり、彼の生活の一部を取り入れた。例えば自炊。彼は食事にかなり気を遣っていた。私も以降、自炊時はしっかり栄養素を気にするようになった。ただ、彼は毎日同じ料理を食べる。それは真似できなかった。

また彼はレディーファーストが徹底していた。彼が彼女を家に連れてくる機会が何度かあったのだが、その時彼女に対する振る舞いは一人の男としてかなり尊敬できた。ただ、ひっきりなしに彼女を変えていたのでかなりの遊び人だったのかもしれない。また、女性が二人もいるシェアハウスだったこともあり、部屋はかなり綺麗に掃除されていた。それぞれ持ち回りでゴミ出しや掃除をした。今思い返してもかなり良いシェアハウスであった。

ミートアップで英語イベントに参加

休日や学校終わりは図書館へ行って英語の勉強をした。夜はミートアップというアプリで語学学習イベントを探し、週に3回ほど参加した。主に参加していたイベントの一つがランゲージエクスチェンジだ。これは日本語を学びたい外国人と英語を学びたい日本人が参加し、交互に語学を教え合うイベントだ。他には、第二言語が英語の人向けのイベント。これはみんなで集まってただ雑談をするイベントだ。これらのイベントは基本カフェで行われ、料金はカフェ代だけで良い。それで英語を話せる機会が得られるのでかなりお得だ。バンクーバーのような大都市ならば毎日至る所で似たようなイベントが開かれている。

ただ、欠点もある。外国人男性の多くは日本人女性をナンパ目的で来る。日本人男性の私は相手にしてくれないことが多かった。日本人女性はかなりモテる。彼女らは英語力がなくても常に周りに英語を教えようとする外国人が寄ってきていた。英語が話せなくても、現地で彼氏を作っている日本人女性はたくさんいた。そのまま結婚して現地で住む人も中にはいた。逆に、英語が話せない日本人男性が外国人の彼女を作った話は一度も聞かなかった。

私はイベントにたくさん参加したが、毎回楽しかったわけではない。むしろ、イベントの会場であるカフェに入る前はいつも憂鬱になっていた。知らない人に会うのも嫌だし、英語力も全然なかったためである。「嫌だったら、途中で帰ればいい!頑張ろう!」と自分に言い聞かせて参加した。好きな音楽を聞いて、自分の気持ちを高めてから参加したりもした。

イベントの参加者の中で私はいつも最下位レベルで英語ができなかった。しかし、何度か参加した後、イベントのホストであったアジア人男性に「私はあなたを尊敬するよ」と言われた。多くの英語初心者は一度や二度はイベントにくるが続かないらしい。初心者ながら毎回参加して、積極的に話している私のことを褒めてくれた。

その言葉はすごく嬉しかった。それ以降はイベントに参加するのが苦でなくなってきた。参加者たちも次第に私を遊びへ誘ってくれるようになった。ボーリングへ行ったり、バーへ飲みに行ったり、ハイキングへ行ったりと、ようやくカナダらしい生活が始まった。それでも毎回参加前は億劫になっていたし、参加中も辛い思いだらけだったが。

また、これらのイベントで日本人ともたくさんあった。最初はワーキングホリデー期間中日本人に会うことを避けようと思っていたのだが、いざ話してみると有益な情報を交換できるので、それはそれで大切なことだなと思った。例えば、保険のことや日本人が働きやすい仕事などについて知ることができた。

学校、シェアハウス、イベント、図書館での勉強。そんな英語漬けの生活が3ヶ月続いた。とても充実していた。

語学学校卒業後、仕事を探した。履歴書を作り、家の近くのカフェを5件ほど回った。しかし、全て書類審査で落ちた。どうやら、カフェの仕事は留学生やワーホリの人たちに大人気のようで、英語がある程度話せないと受かるのは難しいらしい。

現地でのプログラミングの仕事も探した。プログラマー歴が7年あったので、書類審査は高確率で通った。しかし、3回面接を受けたのだが、全て落ちた。理由は英語力だ。面接の前はいつもものすごい緊張した。また、面接の終わりはものすごく落ち込んだ。海外での生活はメンタルによくない。毎日気持ちが下がるので、精神に来る。

バイトを探して1ヶ月ほど経つが、まだ見つかっていなかった。周りの私と同じレベルの英語力の日本人たちはジャパニーズレストランや皿洗いの仕事についていた。それらの仕事は英語が必要ないためである。時給は大体どれも1000円ほどだ。

そろそろ貯金が底をつきそうになってきていた。そこで仕方なく、日本にある日本企業からリモートでプログラマーの仕事をとることにした。時差は16時間あったが、MTGは週に1回しかなかったので、それ以外の時間は好きな時に働くことができた。平日は6時間ほどリモートでプログラマーの仕事をして、残りの時間は図書館で勉強するか、ミートアップに参加した。語学学校でできた友達は次々とそれぞれの国へ帰って行った。一期一会とはいえ、おそらく一生会わないであろうと思うとすごく悲しかった。

そんな生活が3ヶ月ほど続き、私は気がついた。「この生活ならカナダへいる必要がないのでは?他の国で仕事した方が楽しいのではないか?」

プログラマーの仕事はどこでもできるので、そこから4ヶ月間は定期的に国と宿を変えながら仕事をした。午前中に仕事をし、午後は観光、夜は自宅で勉強という日々を過ごした。

カナダのトロント、アメリカのニューヨーク、キューバ、メキシコ。そのあとはヨーロッパへ行き、最後にアジアを回った。そして、ワーキングホリデーでカナダへ行ってちょうど1年後、私は日本に戻った。

肝心の英語力は、カナダへ行く前に思い描いたものとは程遠いレベルだった。まだまだ満足いくほど話せていなかった。ただ、リスニング力は飛躍的に伸びた。何をいっているのか推測する力がついたのだと思う。また英語を話す時の恐怖心が減った。間違えても伝わればいいやと思えるようになっていた。

英語初心者が1年、海外へ行った程度じゃ英語は話せるようにならない。私はかなり真面目に英語を勉強した方だと思う。それでも話せるようにならなかった。やはりワーキングホリデーにいく前に日本でみっちり勉強しておくべきだと思う。具体的には日常会話に困らなく、向こうのカフェの仕事が受かるレベルの英語力だ。そうすれば現地で友達ができ、仕事もあり、楽しい生活が送れる。

ただ、日本にいると英語の勉強が継続できない人も多いと思う。私もそのうちの一人だった。日本で生活していると英語が必要だと思う瞬間が少ない。しかし海外にいると毎日英語が必要なので、強制的に勉強するモチベーションが上がる。なのでそういった人は初心者でも海外へいってしまってもいいと思う。私の場合は行ってよかったと思っている。

NCC総合学院大学で猛勉強

日本に帰国した時、私は30歳になっていた。アメリカで働く夢は諦めきれていなかった。お金を貯めて、英語力を高め、一年後に就職しようと思っていた。そのため、帰国後も英語の勉強は継続した。

家は外国人がたくさんいるシェアハウスに住むことにした。家賃は7万5千円。そこまで安くないのだが、かなり綺麗で、渋谷へのアクセスが良い場所だった。少しでも多く英語に触れ合いたかったのでこの家を選んだ。

英語の勉強方法を模索している時、NCC語学学院大学という新宿にある語学学校をシェアハウスに住んでいた住民に教えてもらった。彼は今までいくつかの語学学校へ通ってきたが、他の学校より断然でいいと言っていた。彼自身は英語がペラペラなので信頼ができる。その学校はスパルタ教育を売りにしており、宿題が多いため、授業以外に毎日最低1時間は英語の勉強取れないと厳しい、と言われた。私は本気で英語の勉強をしたかったので、問題なかった。その学校へ通うとことした。

私は週一コースで通った。1授業は3時間ほどあり、毎回課題が出る。課題は授業の開始時に一人ずつチェックされる。講師が日本語を読み上げ、それを英語に即座に答えるというものだ。答えられなかったからと言って、怒られたりするわけではないが、緊張感はかなりある。

カナダへいる時に通っていた語学学校では英語で授業を受けていたが、この学校では日本語で授業を受ける。どちらも良さがあるが、私は日本語で受ける授業の方が良いと思った。理由は文法を細部まで理解できるのと、日本人が英語を話すにはどうすればいいのか?という観点で授業をしてくれるためだ。

毎朝1時間は宿題を行い、毎週水曜日は語学学校へ通った。また途中からは特別課題というのを講師にお願いした。授業の課題とは別に追加で課題を出してもらえる。課題ごとに千円ほどの参考書を買う必要があるが、それ以外料金はない。私は「英検一級取得用の特別課題」を受けた。メニューが作られており、上から順番に行っていく。文法、単語、リスニングなど、十個ほどの課題をこなす。全部終わる頃には英検一級を取得する実力がついている。というわけだ。英検一級をとることには興味がなかったが、英検一級を取れるほどの実力は欲しかったので、この課題を受けることにした。またこの学校を紹介してくれた人もこの課題が良いからやった方がいい!と勧めてくれたためである。

それぞれの課題の難易度はとてつもなく高い。例えば、似た意味を持つ単語のペアを1000個を覚え、片方の単語を全て1秒以内に回答しなければならない。うろ覚えでは絶対クリアできない。他には700個の例文を覚え、日本語が出された後一字一句間違えずに、スラスラ回答できるようにする。と言った内容のものだ。

課題によって難易度の違いはあるがどれも三週間ほどかかる。三週間に一度、授業の終わりに講師にお願いし、課題をチェックしてもらう。OKなら次の課題へ進み、ダメならもう一度やり直す。平日は2時間、土日は8時間ほどこの特別課題の勉強を行った。カナダへいた時より勉強していただろう。仕事以外の時間を全て英語の勉強をしていた。この時思ったのが、英語は日本にいてもできる。現に私はカナダへいた一年より、この一年の方が伸びた。ただし、カナダにいた一年での悔しさや、生半可な気持ちじゃ英語は一生話せるようにならないんだ!と知ったので、頑張れたのだと思う。そう言った意味では、カナダへの留学は決して無駄では無かった。

私は7ヶ月間で全ての課題を終わらせた。NCCの講師にも、こんなペースで課題をクリアする人は過去にいなかった!と驚かれた。褒めることなどあまりない講師だったので、非常に嬉しかった。しかし、英検一級は落ちてしまった。ただ、英検一級はあまり興味がない。英検一級対策をするよりも私はもっとスピーキング力を鍛えたかった。そこで、次は講師が勧めてくれた「3時間ノンストップ独り言英会話」というものにチャレンジした。

テーマを90個決め、1個あたり2分のスピーチを英語でする。趣味、仕事、家族、好きなアニメのことなど。2分のスピーチを90個完璧に仕上げたら、3時間英語が話せるということだ。これだけ会話のストックがあれば、外国人と英語が話すことは怖く無くなる!というわけだ。

私の場合、3週間で15個のペースでスピーチを作っていった。そして三週間に一度講師にチェックをしてもらう。講師には15個のお題のタイトルをかみに書いて提出する。その中から4~5個ほど、ランダムで課題が選ばれる。全てスラスラ言えたら次の15個へ行くという流れだった。この課題のための勉強もほぼ毎日行った。私は当時シェアオフィスを借りていた。そのシェアオフィスは夜になると誰もいなかったこともあり、毎晩シェアオフィスで英語のスピーチ練習をしていた。

NCCの課題を通して気が付いたことが、短いスパンで課題があることが語学学習においてはものすごく良いことだと気が付いた。例えば一年後に英語が話せるようになる。という目標だとだれてしまうし、目標が立てづらい。逆に二週間で単語500個を覚える、のような目標だと、具体的な戦略が立てられ、それに没頭できる。

結局私は二年間この学校へ通った。本当にいい学校だった。

LangJournalアプリ制作秘話

NCC総合学院大学を卒業した時、私は33歳であった。その間に結婚もし、子供もできた。英語の学習を始めた時の目標はアメリカで働くことであったが、結婚やコロナの流行などを経て考えが変わっていた。私はここ数年英語の勉強しかしてなかったので、今度は仕事に没頭がしたかった。そして子供が大きくなるまでは日本に住みたいと思っていた。

今まで英語学習に割いていた時間で、私が本当に欲しいと思うものを作ろうと思った。私はプログラマーのため、スマホアプリやWebサイトを自分で作ることができる。そこで思いついたのが日記添削アプリだ。

カナダで語学学校へ通っていた時、私は三ヶ月間毎日日記を書き、先生に添削してもらっていた。卒業後は有料のサービスを使い日記を続けた。しかし料金が高かったため、途中で辞めてしまった。日本に帰国後も、当時住んでいたシェアハウスの外国人に添削してもらったが、毎日依頼するのは悪いと思い、この時もやめてしまった。

日記を書いてそれを無料で添削してくれるアプリがいいのに。とずっと思っていた。Lang-8というサービスが昔あったらしいのだが、すでにサービスは終了した。そこで、自分で作ることにした。今の時代、AIで添削はできる。スペルチェックや文法だけでなく、意味を理解した上での添削もできるのだ。

今まで英語勉強に当てていた時間を全てアプリ開発にあて、約半年ほどでアプリを完成させた。名前はLangJournalとした。意味はそのままなのだが、言語という意味の「Language」と日記という意味の「Journal」を組み合わせたものだ。

現在アプリをリリースして約一年がたつ。私自身も毎日使っているので日々改善していっており、かなり満足できるものになっている。ユーザー数も少しずつだが増えてきた。ただ、収益は数千円程度しか得られていない。サーバー代などでむしろ赤字である。

それでも、将来はこのアプリをもっと多くのユーザーに使ってもらい、このアプリの開発のみで食べていけるようになりたいと思っている。英語の勉強は現在、毎日1時間だけしている。英語でニュースを読む、Podcastでニュースを聞く、LangJournalで日記をかく、これだけは今でもルーティン化して行っている。

今の目標はアプリを多くの人に届けること、英語をもっと話せるようにすること。この二点だ。以上で、私の英語学習体験記を終える。数年後、このブログの続きを書こうと思う。その時はもっといい報告ができればいいなと思っている。